鯰のつぼやき | |||||
栃木県那須塩原市にある、大山巌元帥墓所の一般公開に行って来ました。 大日本帝国政府最後とも言える様式で建てられた元帥の墓所に参拝したのち、大山格先生の“学校の教科書や授業では教えない歴史解説”を聞きながら、広い墓所を案内していただきました。 解説の内容は盛りだくさん過ぎて、私の拙い文章力では全てお伝えするのは無理ー! なので、ざっくりとだけ。 元帥の墓所は、東日本大震災で甚大な被害を受けたのですが、墓所を修復する職人さん達は、とにかく東北地方の復興を優先させてくださいという大山先生のお考えもあり急いで修復しなかったそうです。 しかし東京五輪が決定し、東北だけでも人手が足りないのに更に五輪の為に職人さん達の人手が取られたら、修復は2030年以降になってしまう。 さすがにそこまでのんきに構えていられないので、五輪の工事が始まる前に修復しよう、という事だそうです。 ※詳しくは『大山格のブログ』で検索してご覧ください。 私の素朴な(アホな)疑問。 『何故に私費で修復するのですか?国の重要文化財に値するのに、国や自治体は知らん顔なのですか?』 大山先生の回答。 『はい、知らん顔です。国も自治体も大山巌の墓は重要文化財に認定できませんとの事です。』 その理由を伺いまして、唖然としました。 元帥は自宅の庭に観音像を据えたほどの仏教徒だったのに、大正天皇の命を受けた宮内省(当時)が、国葬にするからそのように支度せい!と申し伝えてきた。 絶対に断れない命ですから、元帥の葬儀は国葬として、出雲大社より宮司が来て神式で執り行われたそうです。 (天皇家や皇族方の場合は伊勢神宮ですが、臣民の国葬は伊勢神宮より格下の神社が執り行われたそうです。) 埋葬地は元帥の希望で那須になったそうで、墓所の建造と共に青山にあった先妻の墓も那須に移されております。 神式で葬儀を行なった為、元帥の子孫は墓所では年に一度、乃木神社の宮司さんにお願いして神事を執り行ってるそうですが、行政や教育委員会に言わせたら、それが 『政教分離に反するから重要文化財の指定はできませーん!』 という事なのだそうです。 えーーーーーー!!!!! としか言い様がありませんが、それが現状だそうです。 しかし、大山先生が子孫としてではなく、日本の歴史学者として、やはり国葬の執り行われた墓所は重要文化財として後世に残すべきだと決断され、この機会に墓所をまず修復しようと、墓所の一般公開でマルシェを開催したり、様々な活動をされております。 元帥の葬儀は国が出しましたが、墓所の建造は国葬の後に有志が寄進し葬儀から数年を経て完成されたそうです。 広い墓所はそこだけ空気が違うような、まさに神域でした。 大山先生のブログに写真が掲載されてますが、震災で参道の石塔が倒れて壊れてしまいました。 その中で唯一倒れなかった石塔は、東郷平八郎提督が寄贈したものでした。 うっすらと読み取れる提督の名前が刻まれた石塔、偶然じゃない何かを感じて、思わず手を合わせずにはいられませんでした。 そうそう、元帥が諸外国から授かった数々の勲章は、陸上自衛隊宇都宮駐屯地内で保管されてるそうです。 『だって美術館や資料館に預けて盗まれたら国際問題になっちゃうでしょ?でも自衛隊の中なら盗もうとするヤツは居ないからさー』 だそうです。 ちなみに、トップの画像は、那須塩原市が墓所の入口に建てた『観光案内的な』看板ですが、その維持管理に関しては、一切関与してないそうです。 ちゃっかりしてるなー。 大山巌元帥墓所一般公開&マルシェは、毎月第2土曜日に開催だそうです。 繰り返しになりますが、詳細は『大山格のブログ』で検索してご覧くださいませ。
by maro-qtarou
| 2014-05-11 09:51
| |||||
ファン申請 |
||